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大国屋製菓舗について

おひとつ、いかがですか

大国屋には扉はありません。
散歩の途中に、買い物ついでに、仕事帰りに、
車で、自転車で、ベビーカーで、
できるだけ気軽に入って頂きたくて
 
当店はセルフサービスになっています。
お好きなものを、ひとつからでも
小さなお子様でも
駄菓子屋で駄菓子を買うように
できるだけ気軽に手にとって頂きたくて

そうしているうちに、店のものが出てまいります
 
おひとつ、いかがですか?

​大国屋製菓舗のはじまり

創業1945年 昭和20年
 
​戦後、初代の川合喜一(僕の祖父)が始めた​
「川合喜一商店」という飴屋を開業したのが大国屋の始まり
*本当に水飴1缶から始め、それが2缶、3缶になり
次第に飴屋になっていったんだそう​・・・
戦後は、とにかくモノがない時代
何を作っても商売になったのかもしれない
 
その後、飴屋をやりながら
餅を売るようになり、餅屋から

さらに大福餅、饅頭など和菓子の小売
他にも煎餅や袋菓子
おでんやかき氷なども販売していたので
和菓子屋というよりは

いわゆる「商店」というスタイル
屋号は「川合喜一商店」

 
時代の流れと共に
和菓子以外の販売をやめ

二代目川合克己(僕の父)が
和菓子の製造・小売に加え
市内の問屋やスーパー数十店舗などに
卸事業を拡大し「大国屋製菓舗」となる
この時期はいわゆる高度経済成長期
商品を作れば作っただけ売れた時代
僕の子どもながらの記憶だが
父は充分な休みもなく寝る間も惜しんで働いていたと思う
​(今の僕にはとても真似は出来ないです、尊敬)

 
そして時代は平成
三代目川合史剛が、それまで駐車場だったスペースを店舗に改装し
再び小売を始め、丸子の朝市やその他イベント出店活動などで
現在の大国屋製菓舗のスタイルとなる
お菓子の製造は保存料・添加物を使わない
ひとつひとつ手で作る昔ながらの製法にこだわり
なるべく大勢の方々に使っていただけるような
ひとつからでも気軽に買い物が出来る
「駄菓子屋のような和菓子屋」を目指し
今日まで続いている

*ところで、
大国屋を「大黒屋」と表記しない理由は
初代川合喜一の
「ウチは国を相手に商売していくんだ!」という
なんとも逞しい心意気から名付けられたと聞いています(ホントかどうか笑)

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